学校は最強の学び場

特別支援教育の”特別”をなくしたい

大沢:
小学校教員という職業に絞られた後は、どういった基準で埼玉県の教員を選んだのですか。


山下:
特別支援学校ではなく、通常学校のなかで障害のある子供と接したいと思っていました。既に特別支援教育が始まっていた一方で、多くの子供たちが困っている現状があり、先生のなかでも特別支援に対する理解がそれほど進んではいませんでした。そんな背景から、子供と先生のパイプ役になりたいと思い、地元埼玉県の教員採用試験を受けることにしたんです。

大沢:
特別支援教育というのを、ぜひ簡単に教えていただけますか。

山下:
元々は「特殊教育」と言われていましたが、特別な場で教育を行う「特殊教育」から、一人一人のニーズに応じた適切な指導及び必要な支援を行う「特別支援教育」に発展的に転換しました。また、学校種別も一昔前は盲学校、聾(ろう)学校、そして養護学校と分けられていましたが、学校教育法の改正に伴い、2007年度以降は「特別支援学校」へと一本化されました。最近ではインクルーシブ教育(※4)という言葉も出ていますが、「特別支援教育」は共生社会の形成に向けて必要不可欠なものです。

特別支援教育のなかでは、あえて分けるのも大事という論調もあります。障害の度合いによって、その子にあった支援が必要だから分けるべき、ということです。ただ、私は障害があろうがなかろうが、みんな一緒で特別ではないと思ってるんです。障害も一つの特性なわけですからね。大学時代の教授とも「特別支援学級の”特別”を無くしたいよね」とよくよく話していました。

また、最近ではLD(学習障害)やADHD(注意欠如・多動症)など様々な障害名がついたことによる弊害もあります。障害名が同じでもそれぞれ特性は異なりますから、必要とする支援の度合いも変わります。障害名をつけるのは、ついたからクラスを分ける分けないという話ではなく、その子にあった支援内容をより具体的にする、というのが目的です。

そうすることで、支援内容も明確になり子供たちは通常学級で一緒に授業ができる。これは、私たちが眼鏡をかけるのと一緒なんです。障害も含めて子供たちの特性は違いますが、 良さを伸ばすというのは変わらないし、それを忘れてはいけないと思います。

私がクラスの子供たち一人一人を大切にできたのは、特別支援という教員としての素地を持てていたからだと思います。

インクルーシブ教育(※4)
日本がこれまでの「障害のある子供たちと、それ以外の子供たちとを隔てて教育する」という概念を覆す教育方法で、2006年の国連総会で採択された「障害者の権利に関する条約」で示されたもの。
障害のある子供も、ない子供も、共に教育を受けることで、「共生社会」の実現を目指している。

教員である前に、ひとりの人間として人間力を磨く

大沢:
山下さんは学びのなかの面白さをとても大切にされていますが、なぜそうされているのですか。

山下:
教員になってまだ経験も浅いときに、前年度担任が複数回変わる学年を担任しました。そのとき、たまたま学級経営がうまくいって、調子に乗ってしまったんです。しかし、現実はそんなに甘くなくて。授業準備をおろそかにしていたら、やっぱりクラスの状況が悪くなってしまった。当たり前ですよね、授業準備ができていないので、授業が面白くないんです。それで、子供たちの間で手紙が回ってるのにたまたま気づいたんです。「山下の授業つまらない、まじうざい」みたいな感じでしたね。

そうはいっても、子供が授業と関係ないことをしている時は注意しますよね。今では決して怒鳴ったりしないですけど、若い頃は怒鳴ったりと怖さや圧力で静かにさせてしまっていました。本当の指導をできていなかったと思います。それで子供たちの心が離れていくのが明確にわかったんです。学級崩壊はこうしてなるんだな、自分は人間として未熟なんだな、ということを子供たちから教えてもらいました。

大沢:
学級崩壊というとなんとなく先入観で問題児がいるからと思い込みがちですが、指導する教員の人間力がやはり重要なんですね。

山下:
本当にそう思います。子供は全然悪くないんです。こうした経験から人間力を磨くため、民間企業が主催する20、30代を対象にしたセミナーに参加するようになりました。教員の前にひとりの人として、私には傾聴する姿勢やコミュニケーション能力などが欠けていた。こうした危機感から、半年間ほど都内に通い勉強しました。それが終わった後は、改めて教育にしっかり向き合うようになりました。

多くの大人が連携しながら学級をつくる

山下:
その後、6年目で生まれ育った埼玉県坂戸市に戻ってきて、今度はクエストエデュケーションを提供する教育と探求社さんとお会いして、教員としての自分をアップデートすることができました。特に、一般社団法人ティーチャーズ・イニシアティブ(TI)さんの1期生として学んだことが、自分にとってはとても大きかったですね。

全国各地のモチベーションのとても高い教員の方々と出会い、一気に視界が広がりました。そのおかげで、授業でもっと色んなことができそうだし、もっと多くの人と繋がれそうだなと思いましたね。もともと県内の企業や団体とも連携して教育をしていましたが、TIのおかげで大幅に人脈が増えました。教員としてはもちろん教科ごとの経験を積むことで学びを深められますが、学びの幅を広げるには各教科や総合的な学習の時間に、民間企業など多くのプロフェッショナルを呼ぶことが大切です。

未来の先生展でのTIの発表の様子
TIのゼミ発表の様子

大沢:
先生も学校の外の人脈を形成しづらいと思うのですが、どうやってゲストティーチャーと繋がったのですか。

はじめは、未来教育会議で出会った現広島県教育委員会教育長の平川理恵さん(※5)などに、どうやって学校に民間の方を呼んのだかを教えてもらいました。そこからは、自分で候補企業を探すようになりました。はじめは、支援企業が参加するコンソーシアム団体から探しました。ただ、段々と、このままでは本当に自分がやりたいことはできない、ということに気づいたんです。支援企業では効率性の観点からも、カリキュラムやシステムが出来上がっています。ただ単にそれを教えているだけだと、企業側の事情で授業内容が決められてしまい、教員として子供たちのためにやりたいことができない。だったら、自らアポイントを取って、やりたいことをお願いしたり、交渉する方が面白いなと思ったんです。

大沢:
実際に先生自らの交渉となると、かなりの手間がかると思うのですが。

山下:
そうなのですが、それも教材研究なんですよ。先生と企業をつなぐのは確かに骨が折れるし手間です。でも、僕はそれを手間と感じないので、好きなだけ素敵なゲストを授業に呼ぶことができる。加えて、ゲストの提供する学びを教育課程に紐づけるのが、パズルを組み立てているようで好きなんです。新しい学習指導要領でいわれるカリキュラムマネジメント(※6)や社会に開かれた教育課程(※7)も、まさにこれまでに自分がやってきたことだよなと思いましたね。

平川 理恵氏(※5)
2010年に全国で女性初の公立中学校民間人校長。以後、様々な教育機関に関わり、フリースクールの設置など不登校対策に積極的に取り組んでいる。現職は広島県教育委員会教育長で、内閣官房教育再生実行会議の有識者。

カリキュラム・マネジメント(※6)
学校教育を子供と地域の実態に合わせるためのPDCAサイクルを推進していくこと。新しい学習指導要領に記載されており、文部科学省によって、これからの教育における重要な要素として位置付けられている。

社会に開かれた教育課程(※7)
より良い学校教育を通じてより良い社会を創る、という目標を学校と社会が共有し、連携・協働しながら、新しい時代に求められている資質・能力を子供たちに育むこと。その実現に向けては、地域と学校の連携・協働の推進が重要とされる。

教科を教科ごとに括るのには無理がある

大沢:
具体的にどんなゲストを、どうやって呼んだのか教えてください。

山下:
ONE JAPANというトヨタやパナソニックなどの大手企業の若手・中堅社員の有志が集うコミュニティがあります。ここでは、互いに情報連携をしたり、カンファレンスやイベントを実施しています。私は、企業人ではないのですが参加させていただき、名刺を配ったり、代表の方ともご挨拶をしました。民間企業の中にポツリと教員がいるので、違和感からかすぐに覚えてもらえるんですよ。

そこでは、名刺交換した日に全員にメッセージを送って「是非みなさまのお力を学校に貸してください」と連絡してました。ほとんどの方が返信してくれて、いざ具体的なやりとりが始まると、「僕たちこんなことできますよ!」と肉付けしてくれるんです。例えば、トヨタさんとコラボした自動車の単元では、「トヨタがまだ考えてもいない人や環境に優しい車を設計せよ」というミッションのもと、アイディア出しの授業をしました。ゴールには、男女一人ずつトヨタに対してプレゼンさせることを目標にやらせてみました。トヨタの方も、子供たちの質問に丁寧に答えて下さり、「実はこのアイディアは今トヨタでもやっていることなんです」とか評価やフィードバックをもらえて、とても素敵な授業でした。

小6総合「リーダーシップ」がテーマ!主体的に学び合う時間の授業例|みんなの教育技術 (sho.jp)
(授業例:みんなの教育技術より引用)

山下:
企業だけでなく、地域も同じですね。すごい人が沢山いらっしゃるので、そういう方々と連携して学びをつくるのがとにかく楽しいんです。

国語、算数、理科、社会、それから英語など、教科ごとに学びを括ろうとすると、どうしても無理が生じるんですね。すると、授業がつまらなくなって子供たちの心が離れていく。だからこそ、本来教科は「目の前の身近な課題に対して、子供たちが興味あるものを呼び起こすためにある」、という原点に立ち戻らないといけないんです。教員としても、◯月までにこの教科はこれを教えないといけない、と追われる日々は苦しいんですよね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ABOUT US
大沢 彰裕
(株)weclip 共同代表。(株)日立製作所の鉄道部門でセールスやコンサルティングに従事する傍ら、教育支援会社であるweclipを創業。プランナーとして、スクスクのメディア運営など教育支援事業に従事。1児の父。