学校は最強の学び場

山下 揺介  Yosuke Yamashita
教育委員会 指導主事(元教諭)
『アンポータリズム・エデュケーション』運営
『ティーチャーズ・イニシアティブ』1期生
『みんなの職員室』発起人

今回のスクスクでは、各教科、単元に企業や地域人材が関わる「公立学校と社会がつながる授業」を実施され、従来の枠組みに囚われない新たな教育活動を推進される山下揺介さんにインタビューを実施。自身もメディア運営をされるなど多方面に活動される山下さんの学びづくりや、今後実現したいことについて伺いました。

教員の道を目指した理由

大沢:
山下さんが教員の道を目指したきっかけを教えてください。


山下:
きっかけは小学生の頃です。私には2つ下に弟がいるのですが、重度の自閉症と知的障害があったんです。弟は両親の希望で地元の埼玉県坂戸市の小学校、今でいう特別支援学級(※1)に入りました。その時の先生方が本当に温かったんです。加えて、学校全体でも障害の有無に関わらず子供に分け隔てなく接してくれました。両親にもとても親切にしていただき、純粋に素敵だなと思ったんです。それ以来、「先生っていいな」とずっと思っていましたね。

その後、中学校に進学し、高校の進路選択を考える時期になりました。その時には、大好きな野球ではプロ選手になれないなと思ったので、中学校の先生になろうと思ったんです。中学校を志望したのは、部活動で好きな野球を教えられるのと、教科も社会が好きだった、という理由でしたね。とはいえ、まだはっきりとした志望理由があったという訳ではありませんでした。

当時の担任には、先生を目指すなら川越高校か松山高校など地元の県立高校が良いのではと勧められました。どうせなら地元で1番の高校を目指したいと思い、県立川越高校に進学しました。

中学校時代は勉強もスポーツも自信がありましたが、川越高校に入ってからは勉強に全然ついていけなくて(笑)。周りのレベルの高さに驚きましたね。それでも、進路選択時の想いは変わらず、教員を目指したいと思っていましたので、大学を選ぶ際も教育界でトップのところに行きたいという思いから、一浪して東京学芸大学に進学しました。

大沢:
進路選択をブレずにやれるのはすごいですね。その後、大学では何を専攻されたのですか。

山下:
私の原体験には弟の障害のことがあったので、シンプルに障害児教育を学びたいと思っていました。加えて、小学生で接した先生像、そして両親の苦労を見ていたので、自然と自分が進む道は障害児教育だ、というのを決めていました。

私が大学に入学した時は、特殊教育から特別支援教育に変わる節目の時でした。また、特別支援学校教諭の免許だけでは卒業できず、小学校や中学校の教員免許も取得する必要があったんです。そのため、私も特別支援だけでなく、小学校と幼稚園の免許も併せて取得しました。

その後、大学で学んでいく過程で、障害児は脳に関係することが多いので、早期療育(※2)が重要じゃないかと考えるようになりました。そのため、当初希望していた中学よりも早い段階で児童と接したいと思い、小学校の教員を志望するようになったんです。

特別支援学級(※1)
小・中学校に設置されている障害のある児童生徒を対象にした少人数の学級。自立活動や各教科等を合わせた指導など、障害による学習や生活の困難を克服するための特別の指導を、児童生徒のニーズに応じて行う特別の場。特別支援学級にも学級担任が配属され、学校の中では通常の学級と同じ機能を持ちながら、特別の指導を行うことができる。

早期療育(※2)
障害がある子供に対して必要とされる療育を早期から行うこと。早期の時期に明確な定義はないが、3歳ごろまでに療育を行うことを指すのが一般的。療育とは「治療」と「教育」または「医療」と「保育」などを掛け合わせた言葉で、自閉症や発達障害などの障害を持った子供に対して、日常生活をおくるため、自立して社会に出る際に必要な物事を習得させる指導方法。

日本の教育を何も知らないことを知った

大沢:
その後はさっそく教員採用試験を受け、教員になったのですか。

山下:
実はすぐに採用試験を受験せずに、一旦腰を据えて世界の教育を学びたいと思ったんです。そこで、大学を1年間休学し、スクールインターンシップ制度(※3)を利用して、3ヶ月間オーストラリアの特別支援学校に行きました。

現地の学校なので当然日本人は誰もいない中、学校のスタッフとして働かせてもらいました。

大沢:
オーストラリアでは、どんなことを学ばれたのですか。

山下:
大きくは2つあります。1つ目は、カンガルーは走るととにかく速いということです(笑)。

私がホームステイしていた家は、メルボルンから車で2時間ほどかかる田舎町で、家の周りには何もありませんでした。学校から帰って運動がてらランニングをしていると、普通に野生のカンガルーがいるんです。足には結構自信があったので、スピード勝負してみましたが全然勝負にならなかったですね。とにかく速い、それが1番の衝撃でした(笑)。

冗談は置いておいて、2つ目は、現地の人からよく「日本の教育はどうなの?」と聞かれたんです。私がオーストラリアを渡航先に選んだのは、自閉症を学ぶのにオーストラリアだったら欧米の先進的な取り組みを感じられるのではと思っていたからです。ところが、実際に行ってみると、「日本の制度はどうなの?」とか「日本の学校はこういう時どうするの?」とか質問攻めにあったんです。日本のことを答えられずに、本当に危機感が沸きました。「このままではまずい」と。

オーストラリア セイモアスペシャルスクールの子供たちと山下さん

大沢:
外国人の方が純粋な質問を投げかけてきますよね。その後、危機感からどんなアクションをとったんですか。

山下:
まずは滞在期間中にもっと勉強しなきゃなと思い、インターンシップ先の学校長に「近くの小学校へぜひ勉強に行かせて欲しい」とお願いしたんです。すると、学校長も理解を示してくれて、提携する小学校に繋いでくれました。さっそく面接しに行き、「将来自分は日本で小学校教員になりたいので、学校現場を見させて欲しい」と頼み込んだんです。

無事了承され、はじめはその学校の先生の授業を見て、いろいろなアプローチの仕方を学びました。途中からは自分でもこういう授業をしたいな、というのが出てきたので、相談して時間を頂いたんです。片言の英語と身振り手振りで、なんとかやりたいことを伝えました。それでも、想いがあれば通じるんだなと感じました。私が実際に企画したのは、スペシャルスクール(特別支援学校)でのJapanese Dayで、日本文化を題材にしたお祭りイベントです。お茶や折り紙などのコーナーに、現地の先生をそれぞれ配置して、交流を深めていきました。

こうした活動はとても面白かったし、勉強になりました。なにより、日本に帰ってきたときに、「日本語が通じるんだから、なんとかなるでしょ!」という自信がつきましたね。

スクールインターンシップ(※3)
日本人がいない町で、たくさんの人と出会い、ふれあいながら子供たちに日本の文化を紹介するインターン制度。子供たちを楽しませる授業をつくりながらプレゼンテーション力や行動力、創造力向上を図るもので、教わるのではなく、教えることがメインであり、受け身の留学とは大きく違う国際体験をできる。

周囲に反対されてもやり通す

大沢:
すごい行動力だと思うのですが、山下さんを突き動かすその原動力はどこにあるのですか。

山下:
自分でも正直よくわからないんですよ。ただ、負けず嫌いだったので、目立ちたいとか一番になりたいという欲求はあったかもしれません。自分のことを話すのが好きで、人の話をあまりきかない所も重なっていたと思います。

過去にはそれを短所と思っていましたが、大学の先輩から「考えようによっちゃ短所は長所になる」と言ってもらったんです。この言葉には、とても救われました。自分が好きなこと、いいなと思ったことはまずはやってみる。周りからすると自分勝手だったり、誰かを傷つけうるかもしれないけど、それが長所として生かされるのなら、やり通そうと思えるようになりました。

あとは、出会った方々の言葉に勇気づけられた、というのがありますね。とくに高校時代の友人がそれぞれの道で活躍していたので、その出会いは大きかった。みな個性があって自分らしく生きていて、触発されたのを覚えています。こうした友達や先輩、そして先生方との出会いは本当に大きかったです。

大沢:
これだけの行動力のある山下さんだと、教員という職業以外にも興味が湧いてきそうですが。

山下:
言語化は難しいのですが、やはり自分には過去の強い原体験があったので、職業選択に悩むことはなかったです。高校に入学した時には、先生になるんだというビジョンは明確になってました。

ただ、実は教員を目指した当初は、まずは民間企業に就職してから教員になろうと思っていました。社会のことを知ってから教員になる方がいいのではと思っていたんです。だから、教員採用試験の勉強と並行して、就職活動もしていました。就活が進んでいくうちに、結局興味のある企業が教育分野に絞られていき、やっぱり自分は教育が好きなんだな、と思うようになりました。

また、民間企業は当然利益のために事業活動をします。就活を通して自分と向き合う中で、「自分は利益のために教育をやりたくないな」と思ったんです。おかげで、すっきりと大卒で教員になろうと決められました。そういう意味でも、就活はやってよかったですね。

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大沢 彰裕
(株)weclip 共同代表。(株)日立製作所の鉄道部門でセールスやコンサルティングに従事する傍ら、教育支援会社であるweclipを創業。プランナーとして、スクスクのメディア運営など教育支援事業に従事。1児の父。