【キャリア】夢を追い続ける力を育む 〜私自身が最大の教育環境〜

教員を辞めた後、激動のキャリア

辰野:
教員を辞めた後は早速アメリカに行き、ロサンゼルスのコミュ二ティカレッジ(様々な国の人が集まって学ぶ大学)に通い英語の勉強を始めました。現地ではホストファミリーの家の一室を借りて生活し、半年間自転車で片道1時間程かけて通学しました。

その後、今度はカナダのバンクーバーに行きワーキングホリデーのビザを使って、TESOL(「Teaching English to Speakers of Other Languages」の略で、英語を母語としない人に向けて英語を英語で教える方法を学ぶ教授法の資格の一つ)を取得しよう英語漬けの毎日を送りました。短い期間でたくさんの課題を与えられ、毎回英語でプレゼンをする必要があったのでとてもしんどかったですね。

学校に行っていない時は日本語学校の教師をしたり、現地のレストランでもアルバイトをして働いていました。忙しい日々で、日曜日の午前中以外は空きがないような日々を1年間くらい続けました。

カナダ・バンクーバーの日本語学校で子どもたちと辰野さん

その後ビザが切れてしまったので日本に帰国し、子ども英会話スクールで教師をしていました。その時、たまたま一緒に組んでくれたネイティブの先生がニューヨークの熱心な教育家で、私の夢や想いに共感してくれ応援してくれました。英語もただ勉強するよりも実際に仕事で使う方がぐんと力が伸びるのを感じましたし、カナダで勉強したことを活かすことができました。

大沢:
アメリカやカナダでの経験を経て、今度は日本で英語教育に携わるようになったんですね。

辰野:
そうですね。ただ、教師をしながらも以前カナダの日本語学校時代にあったひょんな体験を思い返すようになりました。

日本語学校で大人クラスの外国人生徒から「日本の着物の着方を教えてほしい」と言われたんです。正直これには困りました。日本人なら誰しも着物の着方は知っていると思われてたんでしょう。ところが私は着物の着方がわからず、はがゆい思いをしました。

そんな体験を思い出して今度は一転着付けを学んでみたいと思うようになり、早速着付け教室について調べたんですが授業料がとても高くて断念しました(笑)。

そこで、着付けの仕方をもっと手頃に学べる方法を考えた結果、旅館で働けば学べるんじゃないかという結論に至り、住み込みで箱根の旅館で働くことにしました。せっかく働くなら作法なども厳しい環境で学びたいと思い、箱根吟遊さんという老舗旅館に3ヶ月半お世話になり、着物の着方もさることながら接客等様々なスキルを学ばせていただきました。

着付けを学ぶために飛び込んだ箱根の老舗旅館・箱根吟遊時代(右が辰野さん)

大沢:
英会話スクールの後に老舗旅館というのはなかなか想像つかないキャリアですし、行動力が半端じゃないですね(笑)。

辰野:
とにかく「経験・体験」には時間やお金を惜しまないタイプで、逆に「もの」にはほとんど興味が無いんですよね。物事も習うより慣れろという発想で、そうなれる環境を自分でどう作るかを常に考えています。

ワーキングホリデーのビザは30歳くらいまでしか使えないため、せっかくなので今度はオーストラリアに行くことにしました。オーストラリアではサーフスポットとしても有名なゴールドコーストに行って、旅館の時とは正反対の時間にゆとりのある生活をしていました。

ただ、やっぱり海を眺めるだけというのもなんなので、ここでしかできない体験をしたいと思い、オーストラリア=雄大な自然と大地ということで、タスマニア島へ行って農業に挑戦することにしました。

大沢:
いきなりタスマニア島に行って働こうと思う日本人はなかなかいないですよね!

辰野:
自分でもまさかタスマニア島に行くとは思ってませんでしたね(笑)。22歳から2年間通信教育で教員採用試験を目指し、24歳から3年間八王子で教員をしていた身からすると、27〜29歳までの3年間はアメリカ、カナダ、日本、オーストラリアとせわしなくやっていたなという感じです。

農業はどの国でも朝が早く、4時頃からスタートして午前中には仕事が終わります。そのため、昼近くになったら木の下で音楽聴いて寝るというような日本では絶対に体験できないような暮らしをしていました。寮のようなところで50人程で共同生活していたので、様々な国の友人ができたのもこの時の財産ですね。

初めて農業に挑戦したオーストラリア・タスマニア島

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大沢 彰裕
(株)weclip 共同代表。(株)日立製作所の鉄道部門でセールスやコンサルティングに従事する傍ら、教育支援会社であるweclipを創業。プランナーとして、スクスクのメディア運営など教育支援事業に従事。1児の父。