辰野 扶美子 Fumiko Tatsuno
福島県小学校教諭(時間講師)
ブルーベリー農園「チャコちゃん農園」管理者
今回のスクスクでは、小学校教諭であり現在はブルーベリー農園管理者でもある辰野扶美子さんにインタビューを実施。学校教員でありながら農業など様々なアプローチから、子どもたちの生きる力を育もうとする辰野さんの挑戦について伺いました。
はじまりは途上国の子どもたちとの出会い
大沢:
まずはじめに、辰野さんが教員を目指したきっかけを教えてください。
辰野:
以前の私は「将来こうなりたい、こんなことがしたい!」という夢を持てずにいました。なんとなく子どもと教育には興味があったのですが、勉強も苦手でしたし教員になろうとは思いもしませんでした。
しかし、段々と世界のこと、とりわけ途上国に興味を持ち始めるようになり、大学3年の春休みに思い切ってカンボジアに短期渡航に行くことにしたんです。そこで、私にとって運命的な出会いがありました。
それはゴミ山の上で遊ぶ子どもたちと話をしていた時のことでした。彼らは経済的にとても貧しかったのですが、将来の夢を力強く語ってくれました。小学校の先生やキャビンアテンダントになること、大きな家を建てること、その一つ一つが立派な夢でした。
その瞬間こそ「こんなに厳しい環境なんだからどうせ無理でしょ」と思ってしまう自分がいましたが、私自身は恵まれた環境があるにも関わらず、できない理由を並べてやれることをやっていないということに気付かされたんです。
こうした出会いから、私は「こうした子どもたちが将来の夢を実現するために、しっかりとした教育を受けられるよう教員になって力になりたい」と決めたんです。ところが、私が教員になりたいと決意したのは既に大学3年の時。大学で教員免許を取得したいと伝えると、「今からでは間に合わないので卒業してからなら取得できますよ」と言われました。そこで、大学卒業後にバイトを掛け持ちしながら、2年間通信教育に通い教員免許を取得しました。
大沢:
まわりよりも遅れて教員採用試験を受けるのは複雑だったかと思いますが、途中つらいと思わなかったのですか。
辰野:
決めたらトコトンやるタイプだったので、全く気持ちは折れませんでしたね。目標が決まるまでは本当に腰が重いのですが、決まればとことんやり抜くタイプなんです。
全力でやるからこそ見える景色
辰野:
その後、はれて東京都の教員になることができ八王子の小学校に赴任しました。とはいえ、私は教員になると決めたときから、教師という肩書きだけで仕事はしたくありませんでした。まずは自分自身が物事を体験し、学んだ上で教えられる教師になりたかったのです。
教員は何でも知ってるわけではないですし、子どもより偉いわけでもないですからね。
また、私は教員になったときから3年で一旦辞めると決めていました。理由は、グローバル化が加速するこれからは英語教育がより重要になるため、3年間学校現場で学んだら一度留学して英語教育に向き合いたいと思っていたからです。
3年間、八王子の小学校では本当に貴重な経験をさせていただきました。教員として子どもたちを教えながらも、私自身が教員という仕事を教えていただきました。目の前にはやるべきことが沢山あったので、寝る間も惜しんで必死に仕事をしてましたね。
大沢:
どんな仕事も初任の時期は大変だと思うのですが、どんなことを考えながら教員生活を送っていたんですか。
辰野:
もう目の前の子どもたちのために必死でしたが、同時に教員を目指したきっかけであるカンボジアの子どもたちの顔も時折思い描きながら仕事をしていましたね。私自身、自分の夢のために学ばせてもらっているという思いが強かったので、苦労したというより労苦(自ら望んでする苦労)だったなという感覚です。
子どもたち、保護者、周りの先生方含めて職場環境が本当に良くて、とても幸せな3年間でした。それだけの職場だったので何か役割・担当などあれば立候補して全部やってやる!という気持ちでしたね。
何事も全力でやらないと見えない景色があると思いますが、誠心誠意ぶつかっていけば子どもたちも保護者の方もそういう姿を見てくれていて、トラブルが起こった際にも前に進んでいく力になります。こうした経験もあり、初任校の時の保護者や子どもたちとは今でも連絡を取り合う関係を築くことができました。
大沢:
貴重な経験ができた本当に良い職場だったんですね。それでも予定通り教員を辞められたんですか。
辰野:
はい、予定通り3年間で辞めました。良い職場だったので正直なところとても悩みました。それでも、当初の目標が頭にあったので一旦教員を辞めることにしました。
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